ナマ祭り
2カ月ぶりの東京は、2カ月ぶりな気がしなくて、いつもCHAZENで会っていたかのようなテンションでみんなに会い、マイソールして陰ヨガして、ランチして坐禅して......。気づいたら、「祭り」と称しておきながら、撮った写真がお昼の蕎麦だけだった。
でも、それでいいのだ。むしろ、それがいいのだ。写真を撮るより、その時間を楽しむことのほうが大事だから。
7月のときはマイソール+お茶会だったので、ずいぶんゆったりしていてよかったけど、今回は少しせわしなかったね。会場入り口の自動ドアが開かず、開始が遅くなったこともあり。
それでも、久しぶりの陰ヨガクラスがうれしかった。陰ヨガとランチは全員が参加してくれたしね。いや、それより何より、何をしても楽しい時間になってしまったナマ祭りであった。参加してくれたみなさま、ありがとう。
先月参加した御岳の合宿では、集まる人たちも雰囲気もよくて、こういう場は作ろうと思っても作れるものではないと思ったのだけど、CHAZENもまた然り。CHAZENにはCHAZENらしい独特の雰囲気ができている。坐禅会のとき、星覚さんが「和気藹々」と言っていたけれど、公民館でもどこでもそこはあの神楽坂のCHAZENと同じ空間になってしまうのだと思った。
ところで、今回の日程が前々から確定していたのは、星覚さんがお寺の住職になられて、その任命式のために上京する予定が決まっていたからだ。住職と言っても、これまで長らく自身を「雲水」と称し、何らの肩書きに依らず禅を伝える活動をされてきた星覚さんなので、通常のお寺の住職になったわけではない。天龍寺の近所にかつて存在していたものの、後継者がなく、建物さえもなくなっているお寺を受け継いだ。すなわち、檀家さんがいない。お葬式で生計を立てる必要がない。縛られるものがないので、自由な布教活動ができるお寺ということなのである。
6月の禅の旅で、そのお寺「宝林庵」の跡地に行き、星覚さんからその話を聞いたときは、あまりピンと来なかったのだが、あとでよく聞いたら、なんだかおもしろそうでワクワクしてきた。もしかしたら、葬式仏教から脱した新しい形のお寺が主流になっていくムーブメントが生まれるのではないか。想像を膨らませていくと、星覚さんがよく言う「ここを好い星にしましょう」というのが現実になっていきそうな気がする。
坐禅会ではそんな悦ばしい話をたっぷりしていただこうと目論んでいたのだけれど、星覚さん的にはそれより任命式に先立って行われた住職研修の内容がツボだったらしく、その裏側をこっそり大公開してくれたので、「お祝い」のつもりが「お笑い」になってしまった。
テキスト「寺院経営のなんちゃら」を見せてもらってワロタ。詳細は控えるけれどもワロタ。ワロタけれども、そうだろうなと思うし、お寺さんというのはたいへんだ。宗教的な存在でありながら世俗的な経営もしていかなければ成り立たない。それをなさっているフツーのお寺を間近に見ているので、しみじみと感じるものがある。
もしかしたら、私自身が似たようなことを経験しているのかもしれない。このサンガを会員制のクローズドなものにしたのも、その「宗教的かつ世俗的」な両立に疲れていたのかもしれないと、さっきふと思ったのだった。今そのときの心境をはっきりと思い出すことができないのだけれど、もう面倒だから「わかってくれる人だけ来てくれたらいい」と思って門を閉ざしたのだと思う。
今はそれを反省し、やっぱり門は誰でも入れるように開けておこうと思い直して、11月からの新しい形を考えている。とはいえ、座学クラスなどはこのままが理想だと思っているので、そのまま続けられたらいい。さてどんなふうに着地するのか。じっくり考えてみるつもりだ。
東京行きの高速バス停近くにて、車の窓ごしに撮ったのにブルーグレイの富士山がきれいに写ってた。
