酸いも甘いも山暮らし
今朝、自転車を走らせていたら、横縞の雲がかかった甲斐駒ヶ岳に朝日が差し込んで、えも言われぬ色に染まっているのがチラッと見えた。息をのむほどに神々しい姿に、少し下りたところのヴューポイントで写真を撮ろうとしたら、もはやさっきまでの神々しさが消えていた。
ほんの一瞬だけ見えたその光景は、けれどもその場で写真に撮ったところで伝わるようなものじゃない。今こうして、この場で、この目で見ているからこその感動なのだ。こうして日の出直後に坐禅に出かけたおかげで、この瞬間に立ち会えた。家で坐っていたら見られなかった。その一期一会がありがたい。山と神が結びつくのはごく自然なことだと納得した。
3日前にも朝日の当たる甲斐駒ヶ岳を撮っていたけれど、今朝のはぜんぜん別の貌をしていた。

これぞ山暮らしの醍醐味ではあるが、もちろん面倒なこと不便なことも多い。ゴールデンウィークの某日、前日によく眠れなかったせいで早い時間にベッドに入り爆睡していたところ、21時ごろにご近所の方から断水を知らせる電話があった。ボケボケで「ひゅいまひぇん、寝てまひゅた」とコールバックして、先方を恐縮させてしまった。
幸いすぐに不具合の原因がわかって修理されたが、別荘地で共有する井戸から水を汲み上げているので、たまにこういうことがあるそうだ。翌朝いちばんはまだ濁り水が出ていたけれど、電話をもらって汲み置きしておいたのでことなきを得た。
その翌週は強風で停電。バッテリー温存のためにパソコン作業を中断し、外に出て雑草取りを始めた。小さなカエルくんがいたので、手乗りカエルにして戯れていたところへ、断水のときとは別のご近所さんが「停電してます?」とやってきた。そのスキにカエルくん脱走。
ご近所さんが東電に電話したら2時間くらいで復旧とのこと。こちらもことなきを得た。次の日、麓の村の人に聞いたら停電はなかったそうなので、山の中だけだったみたいだ。風で倒木でもあったのだろう。
我が家の山椒の木も枝がポッキリ折れていたので、ひと枝分で佃煮をつくった。

こんなふうに次々におかずが生えてくる。蕗の薹に始まって、たらの芽、独活、蕗、山椒と、何も植えてないのに自然に生えてくる。とくに独活は小さい分売っているのより柔らかくておいしい。少しずつ何度も収穫できるので重宝している。
先日はお寺で採れた筍の煮たのと初物の胡瓜をいただいた。また新しく始めた糠漬けの胡瓜と、自家製独活のなんちゃって天ぷら(少量のオリーブオイルでさっと揚げる)で一汁三菜のできあがり。

さて、空庵に来た人はよく知っていると思うが、ここには大小さまざまの不用品が山積みだ。当初はフリマやネットオークションに出しながら片付けようと思っていたが、すぐに面倒になった。どうも私はそういうことには向かない人間らしい。かといって、物がたくさんあると気が滞るので、どんどん捨てることにして、遠くにある10キロ240円の粗大ゴミセンターまでせっせと運んでいた。
あるとき、粗大ゴミのシールが30円くらいで売っていて、それを1枚だけ貼ればいいと知った。わざわざ遠くまで運ばなくても30円で済んだのに......。シールを貼って出すというのは知っていたが、そのシールを東京のA券何枚B券何枚みたいなものかと思い、莫大な費用を想像していたのだった。
さっそく次の収集日に、ガレージにあった、使えるんだか使えないんだかわからない古い石油ストーブ(縦型の)を出しに行った。麓の村役場にあるゴミ集積所でストーブを車から降ろしていたら、ゴミを出しにきていたおにいさんにルールのことを聞かれた。引っ越してきたばかりだという。そして、今私が出したばかりのストーブを見て、これもらってもいいですか?と。
使えるかわからないけどそれでよければどうぞと言ったあとで、そんなもんをもらうくらいなら、うちに山とある不用品が役に立つかもしれないと、申し出てみたら、2時間後には大きい車でやってきた。
なんと、聞けば古いバイクなどを修理して売るようなことを生業にしているひとで、うちに転がっている古い運搬車とか除雪車とか解体されたバイクだとか車のモーターなど、粗大ゴミセンターでも引き取ってくれない厄介ゴミをまるっと引き取ってくださることになったのだ。
実はひと月以上前に、鉄屑を買い取る業者に見積もりに来てもらい、近く引き取りにきますというところまで進んだのに、いっこうに来る気配も連絡すらもなかったのだ。一人じゃ運べないとか、大きい車だと入りにくいとか言っていたので、どっちにしろ頼りない感じだったから、救世主が現れて実に助かった。渡りに船、というかゴミ置き場でゴミナンパに成功、みたいな展開だ。
その日はガラクタを積めるだけ積んで、先日の2回目にはいちばんの邪魔者である運搬車とバイク、処分に困るモーターオイル類などを持って行ってもらった。運搬車の荷台には、これも重すぎて途方にくれていた石の板数枚を載せて、車に上げるのにひと苦労。

どれひとつ都会暮らしでは経験できなかったこと。面倒なこと、不便なこと、人とのかかわり、酸いも甘いもすべてひっくるめての山暮らし。人生終盤にこういう暮らしができたことを有り難く思う。いいとか悪いとかを超えて、全身全霊で生きている実感がする。そう思えるのも、30年以上の東京暮らしがあってこそだとは思うけれど。