禅の旅、その後
旅が1週間、旅から帰ってきて1週間、いまだに安泰寺での鮮烈な印象が残っていて、日々頭の大半を占めていたシューのことがだいぶ飛んでいった気がする。
帰ってきた翌日、1週間で伸び切った雑草を刈っていたら「ひとり安泰寺」という言葉が浮かんだ。そうだ。安泰寺のように暮らそう。生活を見直そう。「身口意をつつしんで」修行に打ち込もう。
ところがさっそく毎日雨続きで外作務はできないし、山歩き修行にも行けない。おまけに、湿邪にやられて胃腸がダメになり、その影響でここ数日は寝たきり。寝込んでいるわけではないのだけど、だるくてだるくて、とにかく異様に眠い。通常昼寝というものをしない私が、寝ても、寝ても、いくらでも眠れる。やる気になって勉学に励んでいると、気づけば意識不明になっていたりする。
摂心のときから兆候はあったし、最初は疲れがたまっているのかくらいに思っていたが、持病の季節がやってきたのだ。毎年思うけれど、5月までの自分の身体とはまったく異なる、別の人間にすり替えられた気分。
そろそろだなと漢方薬を飲み始める準備をしていたのに、帰ってからもモリモリごはんを食べて、具合悪くなってからやっとセーブするありさま。身をつつしんでいないことが明らかだ。
さて、禅の旅が無事終わったあとのことを少し。
当初は、私も犬なしで気ままな旅を楽しめる身分になったので、解散後に数日鳥取旅を楽しんで来ようともくろんでいた。いや、もっと最初のもくろみでは鳥取旅のあとに糸島まで行く妄想までしていた。それがだんだん現実的になり、広げた風呂敷をどんどん小さくして、結局は「琴浦町のなっちゃん」に会うだけで鳥取をあとにすることになったのだった。
なっちゃんは、星覚さんの本を読んで鳥取から東京出発の禅の旅に2回も参加してくれた人で、その後鳥取の三朝温泉近くのお寺に嫁いでいる。そのお寺にお参りさせていただいた。

出迎えてくれたなっちゃんが抱っこしていた赤ちゃんが、知らないおばちゃん(私)を見て泣き顔になってきた。と、それを見た星覚さんが、すかさず抱っこしてゆらゆらしたら泣かずに済んだ。さすが5人を育てているだけある。写真撮っておけばよかった。
赤ちゃんは泣かずにすんだが、なっちゃんがシューのことに触れたら、おばちゃんが泣けてきて困った。誰と話しててもそんなふうにならないのに、なっちゃんが「シューさんは......」と言っただけで泣けてくる。なっちゃんの思いが伝わって思わず......。そういうナニカをもっている人なのだ。
總持寺のキューピーさんのご縁はこちら↓
https://chazen.hatenablog.com/entry/2018/08/29/152152
なっちゃんのお寺を出たあとは、鎌倉までヒッチハイクするつもりの星覚さんを乗せて浜名湖まで。ヒッチハイクとはさすが! 考えてみれば、ヒッチハイクはある意味托鉢と同じ。乗せた人にも功徳があるだろう。
途中弱気になりかけていた星覚さんをSAで降ろして、私は浜名湖に宿をとってゆっくり休む(翌朝、無事出発したと連絡あったがその後どうなったか......)。翌朝は宿のWi-Fiで急ぎの仕事を済ませてから、旅を味わいながら帰ることにした。
宿に置いてあった「るるぶ」を見たら、寸又峡の「夢のつり橋」というのが目に留まる。魅惑的な風景だ。辺鄙なところなのでこの先行くことはないかもしれないと向かった。
浜松の市街地を走っていると、11時すぎなのに駐車場にたくさん車が停まっている地元のお寿司屋さんがあり、通り過ぎたのをわざわざ大回りして戻って入った。海辺に来たのに魚も食べずに山に行くのは残念と思っていたところなので、少しでも海の幸を味わえて満足(安泰寺に行く前にも食べたんだけどね)。老舗の人気店らしく平日の11時半にはもう行列ができていた。

行き当たりばったりが旅の醍醐味なのだけれど、こういう欲望を手放せていないのだなと、この写真を見てつくづく思った。星覚さんは鳥取からの道中、運転中眠くなるからと昼も夜も食べなかったのに(身をつつしんでいる人)、私は隣で道の駅で買ったおこわとか、星覚さんがお腹空いたときのために買った柿の葉寿司を「あ、いらないの? なら食べよ」とパクパクいただいていた(身をつつしんでない人)。
そこを出てから寸又峡まで3時間ほど。途中からはこれまたとんでもない山道が延々続き、ほとんど車も通らない。走っていて、お茶で有名な川根だと気づいたのだが、至る所に茶畑があるザ・日本の山間部的風景に目を奪われた。

大井川の水が濁っているのを見て、先日の大雨でこのあたりは被害が出た場所だと察したのだが、果たしてところどころ土砂が流れ込んだ形跡が見えた。もしや美しいあのブルー(下のリンク先参照)は見られないのではという気がしてきた。
https://yumenotsuribashi-sumatakyo.com
しかし、こんな山奥まで来てしまったからには、一応見て帰らねばと近くの駐車場に車を停めて、なんだか陰気くさくてその先に進みたくないような気がする道を30分ほど歩いてようやく見えた夢のつり橋は完全にドブ色だった。

しかも、つり橋は一歩通行なので渡ったら引き返せず、何百段もある階段を上ってから陰気な道をまた歩かねばならぬのだった。この1週間ですっかりダム嫌いになってしまった。福井に行く途中で道を間違えたときも、土砂降りの中、薄気味悪いダムばかり通ったからね。ダム・ダム・ダム...... Damn it! (ああ、口もつつしんでいない)。
帰りは静岡から山梨に抜ける新しい高速道路のおかげで、思ったより短時間で帰宅できた。甲斐駒ヶ岳が見えてほっとして、禅の旅は最高だったし、なっちゃんにも会えたから、そもそもおまけの旅はなくてよかったのだと思う。
ふだん魚は食べないけれど、私は海のものが好き。そんな欲望を決して悪いものとは思っていないけれど、安泰寺の生活を見て、もっと質素に暮らそうと思った。出かける前に空にした野菜室を再びさまざまな野菜で埋めたけれど、庭に生えてくるウドと糠漬けキュウリくらいでいいような気がしている。禁欲的になるということではなく、それで十分、それが最高と思えてきた。
ひとり安泰寺、楽しいな。