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天龍寺の日常とお針子作務

今回の天龍寺行きは、摂心ではなく、絡子(お坊さんが首から下げている四角いアレ)を縫うというミッションのためであった。これから本物のお袈裟を縫うにあたって、まずはミニお袈裟である絡子から始めるのが定石らしい。


しかし、手が不自由(手先が不器用)な私にとっては、大きかろうが小さかろうが細かな作業は苦行でしかない。何かを作ること自体は好きだし、たまに何か作ったりはするのだけれど、いかんせんヘタクソだ。そして、指詰めたんですか?と言われるようなごつい手が思うように動かないのでイラっとする。縫い目の汚さはもとより、途中で糸がグチャっとなったり、へんな縫い方をしてやり直しとなっては絶望する。


遅々として進まない様子を見て、指導してくださっている尼僧さんが、帰るまでには終わらないだろうと住職に報告している声が聞こえてきて、また絶望的になる。糞掃衣ライクな刺子や、チャンチャンコを縫ってくださったCHAZEN生たちがどれほど偉大かが身に染みて感じられ、胸が熱くなった。足元にひれ伏したい気分だ。


お袈裟を縫うというミッションをいただいたとき、本音を言えば全身で拒否したかった。以前の私なら絶対無理と言って暴れていたかもしれない。けれども、それが正当なものである限りは、全力で拒否るよりも素直に従うほうがずっとラクなのだと身体でわかるようになってきた私は、暗澹たる気持ちになりながらも「はい!」と返事した。それなのに、やっぱり暴れておけばよかったかと後悔するくらい裁縫がダメダメなのであった。


ところで、天龍寺に行くときは禅の旅か摂心なので、今回初めて天龍寺の如常日(特別な行持のない日)を知った。朝は4時20分から6時まで100分の曉天坐禅。ここまでは摂心のときと同じだ。坐禅が終わると本堂で朝課。その後、典座寮(台所)の前に移動して韋駄天さまに短いお経を唱えてから、座敷で朝のご挨拶。


それが終わると典座寮にて小食。応量器を使ってお粥をいただくのだけれど、6人以上いないと僧堂飯台はできないので、ダイニングテーブルでの略飯台となる。


食事後は掃除作務。休憩をはさんで9時半から本堂で真向法(柔軟体操のようなもので、やや年配のお坊さん方はよくこれをなさっている)。終わってお茶。その後は日天作務といってそのとき必要な作務の時間になるのだが、私はもちろん縫い縫いしていた。


12時に中食。これはごく普通のお昼ご飯で、応量器も使わない。煮物とかカレーとかね。休憩のち各自作務を行い、3時ごろにお茶、5時半に薬石(夕ご飯)。薬石はお昼の残りとか、サラダなどを少しいただく。消灯は9時。


なんとも、のんびりしている。お茶の時間も、シャバのお茶休憩などよりずっとゆっくりだし、全体的に自分の毎日が慌ただしく感じられるほどゆったりだ。


滞在中、一時的に滞在されている尼僧さんの誕生日ということで外食に連れて行っていただいた。パスタランチと、ショーケースにずらっと並んだのから好きなケーキを選んでいただいた。食事後にケーキを食べたいと思わない私であるが、これもまた素直に従っていちじくのショートケーキをいただいた。思ったよりあっさりしていてもたれることもなく、おいしかった。


そういえば福井では越前おろし蕎麦しか食べてない。福井にはもう十何回も行っているけれど、永平寺か天龍寺以外の場所に行かない。ほかに用事はないのだ。福井のパスタやケーキは私にとって新鮮だった。それに、作務衣のお坊さん3人とともにカフェでランチする経験も斬新だった。


滞在中、温泉にも連れて行っていただいた。いつも禅の旅で行く温泉だったけど、天龍寺のお坊さんたちと行ったのはこれまた初めて。お風呂に入って時間がかかるのは、髪を洗う〜乾かすパートである(特に濃い毛の私は)。ゆえにお坊さんと一緒だと唯一シャンプーをする人である私は大急ぎで出てこなければ......と覚悟していたが、集合までに1時間以上が与えられたので拍子抜けした。永平寺では、入浴時間は全部で20分なのだ。


ふだんは長湯の私だけれど、その日はたまたま温泉に行く前に暑い部屋を掃除していたので、温泉にはあまり浸からずに早めに上がった。暑すぎて冷たいものが食べたかったのである。薬石は食べるも食べないのも自由なので、館内の店でおろし蕎麦をいただいた。うまし。


食べ終わって、休憩所でメールチェックなどしていたが、誰ひとり上がってこない。集合時間にはなっていないが、髪も洗わないのにそんなに長く入っているとは思えず、先に帰ってしまったのかと思ったほど。お坊様たちが上がってきたのは、集合時間のほんの少し前だった。みなさん温泉を堪能していた模様。しかも、休憩所で合流したあとも、しばらくそのまままったり過ごしていらっしゃる。


実にのんびりしている。禅寺のイメージが完全に覆された。そして、聞かされていなかったのだが、温泉のあとは外食が定番らしく、車が停まったところはお蕎麦屋さん。さっきおろし蕎麦食べたばかりだけど、ここでさらに「おろし蕎麦と天ぷら」を頼んで完食。少しでも動くと、とたんにお腹の減る私なのである。


そんなゆったりしたなか、お坊様方に助けられて、とにかくひたすら縫い縫いをさせていただいた。結果的に、完成しないと見られていた絡子を縫い上げることができた(多くは助針のおかげ)。そして、絡子を縫ったことで、お袈裟もなんとかなるような気がしてきたのだった。成せば成る。縫い目はガタガタでも、縫うことに大きな意味があるのだ。


やっぱり「はい!」と返事してよかった。たぶん、これからのほうが何十倍もたいへんなので、何度もイラっとして投げ出したくなったり、絶望したりするだろうが、縫うしかないのだから縫うことを楽しむのみ。


仏道を歩む決意をした理由のひとつには、口で説くだけでなく、実行する姿でもって伝えたいと思ったからだ。多くの人にとってはさほど苦行ではないと思われるけれど、私にとってはいちばん苦手な分野でどれだけ根気よく任務を遂行できるか。今月中にもう一度天龍寺に行ってスタートする予定。一気に忙しくなってきたけれど、望むところだ、かかってこい。


温泉の帰り、まさに陽が沈むところ

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