修験道で六根清浄
4月の終わり頃から公私ともに考えなければならない問題が次々出てきた。その中でも瑠璃練のシステム改定については、一度結論を出したのに、誰かの意見に心が揺れたり、朝起きたらまた別の考えが浮かんだりして、あーでもないこーでもないと考えすぎて夜中に目が覚めて眠れなくなるほど悩んだ。
それなのに、オンラインで話し合いをした結果は拍子抜けの現状どおり。紛糾することもなく、きれいにまとまったのである。何より、瑠璃練生たちの美しく尊い胸の内が聞けたことでこの問題を提起した甲斐があったし、サンガとしての瑠璃練の存在意義は思った以上に大きいことを確信した。その夜は久しぶりにぐっすり眠った。
ところが、時間がたつうちに、なんだか気持ちがざわついてきた。無駄に騒いだだけだったような、忖度しすぎてひとりで疲れていただけのような......。たぶん私が現場にいないからだろう。ナマで雰囲気を感じていたら、こんなに考えなくてもよかったと思う。
ありのままを見られず、妄想の世界で疲れていた私は、目が、耳が、鼻が、舌が、身体が、心が汚れている。そう思ったら、何もかもが押し寄せてきて、<私>に苦しめられている私に気づいた。
そうだ。山に入って浄めよう......。
こんなときは修験道だ。山伏のように山を飛んで、このぐるぐるした頭の働きを吹き飛ばしたい。精進ヶ滝が気に入ったので、先週、もうひとつの滝スポットである尾白川渓谷に下見に行った。ウェブでの情報なりに険しい山道であることを目の当たりにして、なんとなく修験道的なイメージが湧いていたのだった。
さっそく自転車に飛び乗って尾白川渓谷へ。山道を通って行ったので、スタート地点である駐車場まででもけっこうな運動量だ。途中、横手駒ヶ嶽神社に参拝する。この神社の少し上が甲斐駒ヶ岳の登山口になっていて、ここから先は神様の領分という雰囲気が強い(どこだって神様の領分だけども)。
精進ヶ滝はクマ出没の警告があったけれど、尾白川渓谷はクマ情報はなく、代わりに「滑落死亡事故多発」の警告があちこちに立っている。ちょっと足を滑らせたり、ふらついたりしたら滑落してしまうような険しい道が続くので、気を引き締めないといけない。それがよい緊張感を生んで修行風味が増し、集中するために歩いているだけで瞑想になる。
途中いくつかの滝があるが、それぞれ滝壺の色がこのエメラルドグリーン。

こんな岩に目が釘付けになったり。

急峻すぎて近づける滝が少ないのだけど、ほんの少し冒険すると水しぶきがかかるほど近づくことができる滝もあった。朝日が当たると虹が出るので「旭滝」というのだそう。

滝に打たれないまでも、水しぶきがかかるだけで六根清浄が感じられる。苔のあるところは滑って危ないので、十分気をつけながら。
そのころには頭の中のグチャグチャしたものがすっかり消えていた。
さらに険しい道を上っていく。

片道40分と勘違いしていたが、標準3時間のコースだった(実際の所要時間は2時間)。帰りは尾根道から下りるのでラクなのだが、これは修行風味たっぷりだ。いちばん上の滝まで行くときは車で来たほうがいいかもしれない。山歩きよりも、帰り自転車で家まで登るのがキツかった。
これは新しい修行メニューとして定期的に行ずるにふさわしい。身体を動かすという意味ではアシュタンガヨガに近いが、六根清浄効果はかなり高く、直観力を養うためのプラクティスとしてはたいへんすぐれていることを実感した。
自分の気力・体力のほかに、天候や地面の状況にも左右されるので、どれくらいできるかは未知数ではあるが、これもまた新しい修行とのご縁かもしれない。
それにしても、自分にはまだまだ多くの滅するべき汚れが付着していることを痛感する。
先は長い。