どこでもドア

大騒ぎで東京をあとにして、息つく暇もなく瑠璃光殿での自主練マイソールがスタートしました。


自分自身が敬遠していたオンラインマイソールですが、蓋を開けてみたら「案外ええやん」です。モニターの前にじっと座って見ているだけなんてモゾモゾしそうだと思ってたのですが、平気でずっと観察し続けられるのが我ながら不思議でした。


とはいえ、もう長年練習を見てきた人たちだからこそであって、よく知らない人の練習だったらもどかしさが募るような気もします。ポーズの出来栄えなどナンボのもんじゃいと思っているので、よく見えないけど一応見ているこの塩梅がちょうどいいのかもしれません。


昨日のオンラインミーティングで「月曜日はちゃんと練習しようよ」的な説教を述べたせいか、今朝はふだんの月曜より出席率がアップしていて、今までのCHAZENより瑠璃光殿での練習(以下瑠璃練)のほうがむしろいい雰囲気になっているようにも思えます。


今朝そんなことを思いながらモニターを眺めていたら、これってある意味どこでもドアの実現ではないかと感じたのです。五感のうちの2つだけではあるけれど、いちばんわかりやすい視覚と聴覚で遠いところにいる人と一緒にいるような感覚を味わえるってすごいことだと。


先日60歳になった私が小学一年生のころに、小さな町に「未来のなんちゃら展」みたいな小さな企画がやってきて、授業の一環として見学したことがありますが、そのとき見た「テレビ電話」が衝撃だったのです。自宅に電話を引いてないおうちもあったくらいの当時としては、まさにドラえもんの世界みたいに思えたのです。もっとも、ドラえもんを読んだのはその2年くらい先でしたが。


そんなわけで、あのCHAZENの空間はなくなっても、CHAZENがそのままそこに存在していることを実感しました。CHAZENという概念はスペースではなく、人と、人どうしのつながりが作るものだったのだということが、オンラインを通じてリアルに感じられるとは......。


それこそ縁起です。CHAZENという実体はない。私がいなくても、場所が移動しようとも、この人たちがプラクティスをする空間がCHAZENになるのです。CHAZENはどこにでも存在しうるということです。


物理的な距離が離れていようとも、それぞれが別のことをしていようとも、わたしたちはみんなひとつの蔓でつながったカボチャなんだということが、観念ではなく目の前の事実として受け止められるようなオンラインマイソールでした。


とはいえ、コロナだから即オンラインという流れでやっていたら、こういう実感は伴わなかったかもしれません。あれがあって、これがあって、その結果としてのオンラインだからなのでしょう。自然の成り行きに感謝するばかりです。